本庄神社【狛犬】

 

所在地:佐賀市本庄町大字本庄1156
撮影日:2015年01月01日
掲載写真:14枚
主祭神:豊玉姫命(與止日女命)


本庄神社(ほんじょうじんじゃ)は佐賀県佐賀市本庄町にあります。すぐ近くに與賀神社(よかじんじゃ)という神社がありますが、その與賀神社の下宮です。‥‥と、管理人は聞いていたのですが、ネットで調べてみてもよくわかりませんでした。「本庄神社は與賀神社の下宮だ」説はどこからきたのでしょう?


昔から「与賀淀姫大明神、本庄の神と一体分身なり」「本庄・淀姫・与賀三身一体なり」との言い伝えがあったそうで、本庄神社も與賀神社も主祭神は「與止日女(よどひめ)神」です。
「與止日女神」とは一説には「豊玉姫命」のことで、豊玉姫は初代天皇である神武天皇の祖母です。本庄神社は公式ホームページがありませんので未確認ですが、下記掲載の佐賀市地域文化財ベースサイト「さがの歴史・文化お宝帳」では祭神は豊玉姫命となっています。この表記からすると、本庄神社では與止日女神と豊玉姫命は同一神だとみているようですね。
與止日女命と豊玉姫命を同一神と考えるかどうかは各神社で異なるようで、例えば佐賀市大和町の與止日女神社(よどひめじんじゃ)では祭神は「與止日女命(神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。」となっています。「または」ですから別神という立場ですね。
などと書き始めると際限がなくなりますので、與止日女命と豊玉姫命の関係については「神社」サイト與止日女命神社ページをご覧ください。長文ですのでスルー推奨です。

 

さて、上記の「本庄・淀姫・与賀三身一体なり」という言葉にあるように、「本庄神社」「與止日女神社」「與賀神社」は同一神を主祭神としています。「三身一体」という言葉でおわかりでしょうが、この三神社は同一年である欽明天皇25年(564年)に創建されている、非常に古い、由緒ある神社なのです。

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【本庄神社】(佐賀市地域文化財ベースサイト「さがの歴史・文化お宝帳」より引用)

本庄妙見山淀姫大明神の本地は十一面観世音で第29代欽明天皇の勅願で欽明天皇25年(564年)9月28日の夜、末次村の正直者丹次郎と言う農夫が薪取作業中、突然大地が震動して、2本の霊木が生じて、五色の雲、金色の光がさして何処からともなく妙なる音楽が聞こえて、雲の中より気高い垂髫(スイチョウ)の一人の童子が出現して「我は是淀姫の神霊也」と申されて、色々不可思議な霊験を示された。
領主の小寺左衛門大夫安利は丹次郎より霊験奇談を聞き、この丹次郎を連れ、上洛して欽明天皇に奏聞した。天皇は叡感ななめならず(天皇が感嘆すること)畏くも綸旨を下し賜い、なお霊場を建立された。その後小寺は神託に乗じ自ら神主となり、女房を命婦(官位ある女房)とし、同じく座主場を慶正寺と号し、毎年9月27日より28日まで神事祭礼を掌ることとなった、とある。
その後永正9年(1512年)2月に鍋島清久(直茂公の祖父)が再興し、天文2年(1533年)にその子清房が建立した。その後慶長17年(1612年)8月直茂が神殿を新たに造営した。承応2年(1653年)に至り、光茂(2代藩主)が更に造営した。
明治4年(1871年)12月郷社に列せられる。祭神は豊玉姫命であり、仁徳天皇、日本武尊、天照皇大神、日子神、伊奘諾那岐神、龍王神、猿田彦神の七柱の神は、無格社合祀により追加をなした。また、明治40年(1907年)近郊の雑社二十八社を集め合祀し、多くの石造物が本殿裏に移されている。
與賀郷の産土神社として、末次その他は與賀神社より分離し(明治4年(1871年))本庄神社となり、毎年11月28日をもって祭日と定め(現在は10月)氏子区順番にて浮立、相撲、手踊等で賑わいをなしていた。
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本庄神社の境内には立派な一の鳥居(肥前鳥居:慶長11年(1606年)製)や佐賀県の重要文化財に指定されている二の鳥居(肥前鳥居:慶長8年(1603年)鍋島直茂奉納)、石造太鼓橋などがありますが、管理人は駐車場からどーんと入ったため当然のごとくスルーです。こうやって調べてみて初めて「あ、スゲーものがたくさんあったんだ」と気づいた次第。なので写真はありません。拝殿の写真すらありません!
元旦に訪れたために狛犬の写真もささっとスマホで撮影し(もちろん撮影許可はもらいましたw)、ささっと出たため、後から「これだけしか撮影してなかったんだ‥‥」と驚愕した次第。巫女さん達に見つめられながら撮影したので慌ててしまい、ブレブレの狛犬写真が出来上がりました。
まともな写真をご覧になりたい方は、ネットで検索すると本庄神社の境内写真や狛犬写真がわんさか出てきますよ!

 

 

 

本庄神社狛犬


本庄神社拝殿前の狛犬一対です。
阿形は口に玉を咥えています。吽形は口を閉じています。本庄神社内の狛犬はこの一対だけだと思います。
ネットで調べたら、この狛犬は享和2年(1802年)に造られたものだそうです。

この狛犬、何と言うか、ぬぅ~っとしていますよね。
と書いたところで「あれ?この言葉、どこかで書いたな」と思ったら、與止日女神社拝殿前の狛犬でも同じ説明をしていました。「ぬぅ~」は単なる管理人のイメージ表現なんですが、本庄神社の狛犬とちょっと似てるかもしれません。(でもよく見たら全く似ていなかったw)
なんだかこの狛犬は顔がデカい気がします。というか、ひょうきんな顔立ち。ファニーフェイスで可愛いですね!


このページ最後に紹介していますが、本庄神社の狛犬にはオスメスの区別がつけられています。阿形が雄で吽形が雌です。
オスの印がある狛犬は湊川社の狛犬でも見つけましたが、メスの印まである狛犬は初めてです。ちょっと面白いですねw
画像は阿形と吽形を向い合せで掲載しています。(吽形阿形の順です。)

 


 

 

 

本庄神社狛犬(雌雄)

本庄神社の狛犬にはオスメスの印がありました。雌雄の区別がつけられています。

そもそも狛犬に性別などありません。守護神・霊獣なのですから性別など超越しています。でも「対」という概念(阿吽像)で見ると区別をつけたくなるのが人間というものなのでしょう。
本庄神社狛犬のように雌雄別の狛犬も存在しますが、その区別の仕方についての決まりはありません。ですので「阿形が雄」とかそういう風に一概には区別できません。ネットで『「阿」は物事の始まりつまり「産む」なのでメス、「吽」は物事の終わりつまり「結果を残す」の意味になるのでオス』との説明を読みましたが、そんな区別は無いと思います。(証拠を出せと言われたら困りますが、現実にこの本庄神社の狛犬は「阿形が雄」なわけで、この時点で上記説明文が意味を為していないことはおわかりだと思います。)


管理人が本庄神社の狛犬を珍しいと思っているように、雌雄の区別がつけられた狛犬の方が数が少ないと思います。ほとんどの狛犬はオスかメスかわかりません。守護獣ですから当然ですね。管理人が今まで見た狛犬で雌雄の区別がつけられているものはわずかです。どちらかと言えば、雌雄の区別がない狛犬の方が大多数です。

 

 

本庄神社狛犬(阿形)

オスの印がハッキリとありますね。


 

 

本庄神社狛犬(吽形)

この画像ではわかりにくいかもしれませんが、メスの印があります。